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トモダチ作戦:ゆるぎない友情の10年

沖縄県、嘉手納基地 --

嘉手納基地―10年前の2011年3月11日、マグ二チュード9.0の地震に続き33フィートの巨大な津波が日本の本州沿岸を襲いました。 災害を受け日本政府は米国に支援を要請し、嘉手納基地は対応のためすぐに準備を整えました。

地震と津波の発生後まもなく、福島第一原子力発電所で放射性物質を伴う爆発が起こりました。一連の出来事で、15,000人以上が死亡し、数千人が負傷または行方不明となりました。これによって被害を受けた日本人と在日米軍基地を支援する日本と米国の合同人道支援活動「トモダチ作戦」が始まりました。

2011年3月12日、米海軍のP-3オライオン哨戒機が嘉手納基地を飛び立ち、トモダチ作戦における本州沿岸での運用を開始した最初の米軍機となりました。P-3哨戒機は、被災した沿岸部における初期の被害状況を確認し、数多くの被災現場を地図化することで、日本と米国の支援活動により孤立した住民に救難物資を届けることが出来るようになりました。

支援活動は広がり、第909空中給油中隊所属のKC-135空中給油機が第18施設中隊から50人以上のエンジニアを運び、連絡を受けてから32時間以内で三沢基地の電力を復旧させました。

 

第33及び第31救難中隊は、パラシュート救助要員、戦闘救難士官、捜索/避難/回避/脱出の専門隊員、通信兵を含むさらなる人員と物資を提供するために力を結集しました。第33救難中隊司令官ガブリエル・ブラウン中佐は、第33救難中隊の半分がアフガニスタンに派兵されていたにもかかわらず、災害の一報が伝えられると、直ちに嘉手納基地に残っている隊員を支援に向かわせました、と当時の状況について話しました。

第33救難中隊所属のHH-60 ぺイヴホークヘリコプターと空軍兵らは、東京から仙台で捜索救難活動を開始し、被災者に食料や水、医薬品を届ける支援活動を行いました。部隊の活動はその後大気サンプリング任務に移行し、放射線の状況を検知することで、支援活動を支えました。また、両救難中隊は物資・放射線防護服の輸送などの人道支援を行いました。

 

第353特殊作戦群は、統合特殊作戦部隊の司令官であるロバート・トス大佐の指揮の下で部隊を派遣しました。米陸軍第1特殊部隊と海軍第1特殊戦部隊、さらに空軍から第320特殊戦術中隊と第17特殊作戦中隊が派遣されました。しかし、悪天候のため、当初の計画していた仙台空港への着陸が出来ず、最終的に松島空港に着陸し航空管制業務を開始、人道支援・災害救援物資の輸送と供給を行う最初の拠点を開設しました。

「天候は信じられないほど悪かったです・・・ 機体が凍結しかけたので、行き先を変えなければならなかった」とブラウン中佐は語りました。「当時、任務の計画を立てているとき、空港内の窓ガラスが割れていたことを覚えています。冷たい空気が大量に吹き込む中、全員が任務を続けるために懸命に働いていました。己を顧みず取り組む人々の姿を忘れることはないでしょう」

 

松島空港が再開し自衛隊の指揮下に戻ったことで、仙台空港を再開することに焦点があてられました。第1特殊作戦中隊はMC-130HコンバットタロンII輸送機を使い、海兵隊富士任務部隊と米陸軍第35戦闘兵站任務部隊による空港での撤去作業を支援するため、物資とフォークリフトを届けました。

その後仙台空港が使用可能となり、第733空輸機動支援中隊と第18兵站即応中隊によって災害救援物資がC-17グローブマスターIII輸送機、C-5輸送機そしてボーイング747大型ジェット機に搭載され、物資を届けることが出来るようになりました。

「仙台空港は世界中から救援物資や救援隊を受け入れ、日本の人々の復興を支援する拠点となりました」と第33ヘリコプター整備隊のラリー・ハロ氏は話し、「ほんの数分でこれほど多くを破壊する自然災害があるのでしょうか。この地震で被災した人々を思うと、とても心が痛みました」と振り返りました。

日本と在日米軍の協力により、5年かかると言われていた仙台空港の再開がたった1か月あまりで通常運行の準備が整い、900トンの人道支援物資が運ばれ、400人以上の人の移動を可能にしました。仙台空港の再開で、空港の管理が日本側にもどり、トモダチ作戦における嘉手納基地の支援活動は2011年4月13日に終了しました。

言うまでもなく、これらの人道支援は各部隊の航空機の迅速かつ効率的な運用を支える航空機整備チームがいなければ行うことはできませんでした。

第33ヘリコプター整備担当士官トレーシー・ジェネ大尉は「チームワークの力です」と語りました。彼女は災害が発生した当時下士官でした。「私たち整備班も救難中隊のチームです。同盟国の仲間たちと協力して達成したことやお互いを助け合う様子に感銘を受けました」

あれから10年、トモダチ作戦は日米関係を最も象徴するものであり、相互支援は今日も続いています。現在、5万4千人の在日米軍の軍人たちが毎年数千時間のボランティア活動を行い、地元地域に貢献しています。トモダチ作戦で見られたような日米間の友情が今も続いているのです。

ブラウン中佐は「日米同盟は間違いなく今世紀最も重要な同盟です」「これは真の友情であり、私たちは必要な時に必ず応えます」と話しました。